三時過ぎに帰宅、こんなん作って遊んでみました
半年ほど先には放映になるであろう 『オグリ!』 の為のDVDデザインです
何回放送されるかは不明だが全て別のバージョンにするつもり
お衣装の色目を合わせたりすればあと10パターンは軽いぜ!
実はこんな妙なところに凝るんですよ、私
『あさき―』の分は頭の中将様の為に (ん?) 青海波を背景にした
しかし今回は気合の入り方が違うわけよ、ね
賀正Ver.に矢尻Ver.も忘れていかんな、うん!
んでは、製作に戻りますので、おさらばでございます
【追記】
現在、深夜二時
ここまでで製作したのは11パターン
特に気に入っているのが・・・
白い立涌の地紋の小栗様が死出の旅に出る際のお衣装Ver.
袖くくりの紐の色まで忠実に再現してみた、我ながら傑作だわ
しかし・・・眠ぃ・・・
[ 2009/06/14 19:01 ]
日記 |
【その①】
無線LANだった
PCカードスロットに差し込む際に破壊した
グゥハァァァァァァーーーーー!ここを修理するくらいならPC買い換えるわ
しかし、Windows98を2006年まで使った私としては
このままでは成仏させられない、あと5年は使うぞぉ~!
つぅーことで
極短 (1メートル) LANケーブルで壁に張り付きながらネット中
この不便さが病みつきになりそうな今日の真冬です
【その②】
某所にupされたポスターに胸が躍る
でも、何故かまだまだ・・・と諌める自分もいる
ホントにAB型って面倒な性格だ
手放しに喜べば良いのにね
でも、幸せの途中で突き落とされる現実は辛過ぎるから
今は貝のように心を閉ざしていようと思う
心配性だと笑ってください
[ 2009/06/13 17:15 ]
日記 |
紫陽花の色は土壌のphにより左右されやすい
名月院の紫陽花は、「名月院ブルー」とも呼ばれる美しい青の花が多い
[ 2009/06/11 23:46 ]
日記 |
ただいま!
現在、S市は晴天です、梅雨どこさ行っただ?
しかし、早朝の
北鎌倉はジャンジャン降りの雨でした
雨の中に紫陽花を愛でたい・・・とは思っていたが、ちょっと降り過ぎ
カメラの防水カバーを持っていないので、傘とカメラの両方を固定するのは辛い
それでも開門前に到着したのが幸いしてか
まだ人の少ない名月院をゆっくりと散策することができた
その足で江ノ電を利用し藤沢へ
実は今日のメインは紫陽花ではなく
遊行寺こちらで花菖蒲・・・じゃなくて、長生院へ再び足を運ぶことだったのです
壮さんが熊野へ御礼参りに行きたいと仰っていたように
長生院(小栗堂)へ私なりの御礼を申し上げに行きたかったのです
藤沢駅から遊行通りを経て約10分。
大きな黒い惣門をくぐると
いろは坂に続く。
不思議なものでこの坂を上る直前に周囲の空気が変わる。
それは以前にも経験していたが、雨に煙る石段は幽玄な美しさを湛えて、厳粛な気持ちにさせるようだ。
前回は若葉の頃で、萌黄色の葉を風に遊ばせていた
大銀杏も、雨に洗われ力強い緑を茂らせていた。
菖蒲園を拝見し本堂に参る。
時計回りでお参りを済ませるのも前回と同じ。
そして、
長生院への緩やかな上り坂の前に立つ。
この坂で私は歩調を弛める。
一歩・一歩近づいていくその場所は、やはり私にとっては神聖な場所であるからなのだ。
小栗堂は無駄のない美しさで佇んでいる。
本堂の脇を回りこんだ所に、
小栗判官と十勇士・
照手姫(長生尼)・
鬼鹿毛の墓がある。
その全てに丁寧に手を合わせると、言いようのない喜びが心を満たす。
あの日、私はどんな気持ちでここに参っていたのか?
その不安も杞憂に終わった今、公演の成功とご出演の皆様のご無事を改めて感謝する。
それはどんなに言葉を尽くしても尽くしたりないほど・・・。
照手姫の墓の後ろに、ひっそりと隠れるように白い紫陽花が咲いていた。
優しげな白い花を見た時、それが照手姫には相応しいと思った。
鎌倉であれだけ紫陽花を見てきた後だと言うのに、その白さが何よりも心に沁みる。
いつか・・・また季節が変わった時に、三度この場所を訪れてみたい・・・そんな考えをめぐらせながら歩く長い坂の途中で、雲間から射し込んでくる日差しに一瞬視界を奪われる。
振り向いた坂の上、小栗堂もまた、きらめく日差しに彩られ輝いていた。
[ 2009/06/11 16:19 ]
日記 |
うん、和三盆を使った菓子ってのは高級っぽくて良いよね
甘いの好きくないけど、酒飲みだから・・・
・・・・ぢゃなくてぇ! 今回のお題は和讃の中の小栗についてなのでありまする、るるるるるっと!
いえね、↓の壱・弐が柄にもなく真面目っぽかったので疲れちゃったの。
なのでいつものマイペースに軌道修正しようってすんぽうなのよ。
和讃とは何ぞや?
・・・って、辞書引けやっ!!
と言ったら怒られちゃうから簡単に説明すると、仏教の教えを七五調で詠じられたもので、それに独特の節をつければ御詠歌と呼ばれるのね、うん。 (自分でもなんとか消化しようとしている状態)
和讃と言えば最もポピュラーで皆さんご存知なのは『
地蔵和讃』でしょうか?
・・・えっ?知らない?
そんなこたぁーねぇーよ、
一重積んでは父のため
二重積んでは母のため お馴染みの賽の河原のお話ですよ。
さて、ではここで問題です。
三重積むのは誰のためでしょーか?
実はこの問い掛け、私が敬愛してやまない作家の安部公房氏の著書、『
カンガルーノート』の中にも記されているのですが、その答えは後日別の形で述べさせていただきたいと思います。
ただ安部氏のことですから、和讃と全く同じ展開では終わらない・・・そこが氏の作品の醍醐味であり奥の深さなのですが・・・話がどんどん離れている感じがする・・・閑話休題。
きっと皆さんも一度は耳にした事があるはず。
独特のメロディーラインは、いかにも日本的。
いや、或いは、生れ落ちる前から日本人の心の中にインプットされているのかもしれないな。
さて本題に・・・私の手元には、『
高級念仏 小栗判官・照手姫和讃』のコピー資料があるのですが、これがまたアナタ、短いながらも小栗判官の物語の心髄を見事に表現しているのですよ。
こんな資料を容易に入手できるのも地元(相模乃国)住まいの利点と神に感謝しながらも、「かな」って読み辛いわぁ~と嘆くこと数週間。
なんとか全文を理解した・・・と思うよ。 (ちょっと自信ないんだけどね)
この中で小栗は京の都の九条で名を馳せる美男子で
みやこくじょうに なもたかき
はなをもあざむく びなんして (←良いね、この響き)
照手は都でも知られた美女であったが横山将監にかどわかされた設定
きょうになだかき てるてひめ
うぼうてわがやに そだてをき 風の便りにそれを知った小栗が照手に文を書き姫も一首の和歌を返す
これをきいたる まさきよわ (まさきよとは小栗の事=正清)
ふみをしたゝめ ひめのもと
ひめはいつしゆの うたをかき これを聞きつけた横山は悪巧み・・・
てなみみたらば むこにもと
おにかげめいばの ためしのり 小栗毒殺・照手は野舟にて流され、後は一気に大団円(かなり潔いね)
しんでわかれし わがつまが
てらのじゆうじに たすけられ
てんまんぐうで はからずも
おゝたわかみの めぐみにて
めでたくかたき うちにけり んな感じです。
最後の御詠歌は、
ありがたや 神の恵みで 仇を討ち
ともに誉れを よゝに残せり と綴られています。
そう、やはり 『
仇討ち上等!』 なんですよねぇー、最後は。
童話だーの、御伽噺だーの、果てはマザーグースまで、結構ドギツイ展開で締めくくる物は多い。
小栗に関しても、照手姫の願いで横山攻めは取りやめても、三郎と姥にはキツイ罰が下される。
もっとも宝塚では三郎は遁走し、姥は消息不明で終わっていますが、それはそれで良いように思う。
目出度きかな その一言に込められた思いこそが、木村先生の作りたかった小栗判官の物語なのだろう。
『オグリ!』 でも、当初は鋸で首を切られる予定もあったという三郎君にさえ救いが与えられた・・・
紙芝居のようにとの意図は、誰もが優しい気持ちで安心して楽しめる舞台を作り上げる事だったのだ。
今回、同僚と共に観劇する機会があった。
そんな彼女等が口々に、「お話が解り易くて面白かった。」 と言ってくれた。
原作を全く知らなくても、何のストレスも感じず楽しむことができる・・・それは簡単なようでいて、実は最も難しい事なのかもしれない。
芸術性を追い求めれば難解になり、理想に走れば現実味を失う。
それはそれで良い。
そのような作品を好み、自らの理解力と洞察力の深さに酔いたければ他の劇場に出かけて行けば良い。
だが、『オグリ!』 は
宝塚版の日本むかし話だ。
観るもの全てが心から笑い楽しめる作品なのだ。
和讃における小栗の物語が、簡素でありながらもそのストーリーを余すところなく伝えきっているように、『オグリ!』 もまた全ての日本人の心に響く物語なのだ。
それは、我々日本人が元来持っていた筈の実直さや我慢強さ、そしてその根底に流れる優しさに訴えかけるから・・・。
そして、そんな物語の中心に、壮さんが立っていて下さったことが何よりも私は嬉しい。
[ 2009/06/06 22:37 ]
観劇記録 |