スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 |

和三盆・・・ぢゃなくて和讃なのよ  『オグリ!~小栗判官物語より~』@日本青年館・其の三 

 
 
 
 
うん、和三盆を使った菓子ってのは高級っぽくて良いよね
甘いの好きくないけど、酒飲みだから・・・


・・・・ぢゃなくてぇ!

 今回のお題は和讃の中の小栗についてなのでありまする、るるるるるっと!
 いえね、↓の壱・弐が柄にもなく真面目っぽかったので疲れちゃったの。
 なのでいつものマイペースに軌道修正しようってすんぽうなのよ。

 和讃とは何ぞや?

 ・・・って、辞書引けやっ!!
 と言ったら怒られちゃうから簡単に説明すると、仏教の教えを七五調で詠じられたもので、それに独特の節をつければ御詠歌と呼ばれるのね、うん。 (自分でもなんとか消化しようとしている状態)
 和讃と言えば最もポピュラーで皆さんご存知なのは『地蔵和讃』でしょうか?

 ・・・えっ?知らない?
 そんなこたぁーねぇーよ、

  一重積んでは父のため
  二重積んでは母のため
 

 お馴染みの賽の河原のお話ですよ。
 さて、ではここで問題です。
 三重積むのは誰のためでしょーか?
 

 

 
 
 
 
 
 
 実はこの問い掛け、私が敬愛してやまない作家の安部公房氏の著書、『カンガルーノート』の中にも記されているのですが、その答えは後日別の形で述べさせていただきたいと思います。
 ただ安部氏のことですから、和讃と全く同じ展開では終わらない・・・そこが氏の作品の醍醐味であり奥の深さなのですが・・・話がどんどん離れている感じがする・・・閑話休題。

 きっと皆さんも一度は耳にした事があるはず。
 独特のメロディーラインは、いかにも日本的。
 いや、或いは、生れ落ちる前から日本人の心の中にインプットされているのかもしれないな。

 さて本題に・・・私の手元には、『高級念仏 小栗判官・照手姫和讃』のコピー資料があるのですが、これがまたアナタ、短いながらも小栗判官の物語の心髄を見事に表現しているのですよ。
 こんな資料を容易に入手できるのも地元(相模乃国)住まいの利点と神に感謝しながらも、「かな」って読み辛いわぁ~と嘆くこと数週間。
 なんとか全文を理解した・・・と思うよ。 (ちょっと自信ないんだけどね)
 
  この中で小栗は京の都の九条で名を馳せる美男子で
       みやこくじょうに なもたかき
       はなをもあざむく びなんして
 (←良いね、この響き)

  照手は都でも知られた美女であったが横山将監にかどわかされた設定
       きょうになだかき てるてひめ
       うぼうてわがやに そだてをき

 
  風の便りにそれを知った小栗が照手に文を書き姫も一首の和歌を返す
       これをきいたる まさきよわ (まさきよとは小栗の事=正清)
       ふみをしたゝめ ひめのもと
       ひめはいつしゆの うたをかき

 
  これを聞きつけた横山は悪巧み・・・
       てなみみたらば むこにもと
       おにかげめいばの ためしのり

 
  小栗毒殺・照手は野舟にて流され、後は一気に大団円(かなり潔いね)
       しんでわかれし わがつまが
       てらのじゆうじに たすけられ
       てんまんぐうで はからずも
       おゝたわかみの めぐみにて
       めでたくかたき うちにけり


 んな感じです。
 最後の御詠歌は、

ありがたや  神の恵みで  仇を討ち
      ともに誉れを   よゝに残せり


 と綴られています。
 そう、やはり 『仇討ち上等!』 なんですよねぇー、最後は。
 
 童話だーの、御伽噺だーの、果てはマザーグースまで、結構ドギツイ展開で締めくくる物は多い。
 小栗に関しても、照手姫の願いで横山攻めは取りやめても、三郎と姥にはキツイ罰が下される。
 もっとも宝塚では三郎は遁走し、姥は消息不明で終わっていますが、それはそれで良いように思う。
 
    目出度きかな

 その一言に込められた思いこそが、木村先生の作りたかった小栗判官の物語なのだろう。
 『オグリ!』 でも、当初は鋸で首を切られる予定もあったという三郎君にさえ救いが与えられた・・・紙芝居のようにとの意図は、誰もが優しい気持ちで安心して楽しめる舞台を作り上げる事だったのだ。
 
 今回、同僚と共に観劇する機会があった。
 そんな彼女等が口々に、「お話が解り易くて面白かった。」 と言ってくれた。
 原作を全く知らなくても、何のストレスも感じず楽しむことができる・・・それは簡単なようでいて、実は最も難しい事なのかもしれない。
 芸術性を追い求めれば難解になり、理想に走れば現実味を失う。
 それはそれで良い。
 そのような作品を好み、自らの理解力と洞察力の深さに酔いたければ他の劇場に出かけて行けば良い。
 だが、『オグリ!』 は宝塚版の日本むかし話だ。
 観るもの全てが心から笑い楽しめる作品なのだ。
 和讃における小栗の物語が、簡素でありながらもそのストーリーを余すところなく伝えきっているように、『オグリ!』 もまた全ての日本人の心に響く物語なのだ。
 それは、我々日本人が元来持っていた筈の実直さや我慢強さ、そしてその根底に流れる優しさに訴えかけるから・・・。

 そして、そんな物語の中心に、壮さんが立っていて下さったことが何よりも私は嬉しい。
 

 

 
 
 
[ 2009/06/06 22:37 ] 観劇記録 |








上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。