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猛々しいほどに漲る力  『オグリ!~小栗判官物語より~』@日本青年館・其の弐 

 
 



≪今回は観劇感想とはちょっとズレてます・・・カタイよ、かなり≫




 『オク゜リ!』 開幕前に予備知識をつけるために様々な書籍を読み漁った。
 その一環として資料集めも兼ねて、藤沢市の教育関連の施設に問い合わせをした。
 そこで市内在住の歴史研究科のT先生をご紹介いただき、お話を伺わせていただいた事は、以前にも触れた。
 その際にT先生が

  伝承には力がある

 と仰った言葉が印象に残っている。

 史実は、あくまでも史実であり、それ以上でもそれ以下でもない。
 しかし、人々の記憶に深く印象付き語り継がれる物語には、それ自体に命がある。
 荒唐無稽であったり、史実を捻じ曲げたものであったとしても、その中には人々の願いが込められているのだ。
 小栗判官の物語が世に知られるようになるのは、鎌倉大草紙にまで遡る。
 これは康暦元年からおよそ100年間の関東地方の歴史を記した書物で、その上巻の中で応永三十年(1423年)小栗孫次郎満重の乱にその名を見ることが出来る。
 この書の中で小栗満重は敗戦の将であり、十人の家臣と共に三河の国へと落ち延びる際に、相州権現堂にて盗賊の一味に毒殺されそうになった時、照姫(照手姫)と呼ばれる遊女に助けられる。

 常陸の国の敗戦の将が二条の大納言家の嫡子となり、一遊女であったはずの照手が郡代の娘となる。
 通常の感覚では有り得ないほどの置き換えが、なぜ行われたのか?
 そこに説教節としての小栗判官の物語を読み解く鍵があるのだと思う。
 
 落武者が逃亡中に命の危機に晒され、同じように人生の苦渋を舐めながら生きてきた遊女に救われる・・・。
 そんな悲惨なだけの物語が人々の興味をそそるとは思えない。
 説教節の起源をここで語る気は毛頭ないが、近代芸能の祖の一つであったことは疑いようもない。
 ならば、僅かばかりでも御足を頂こうとする以上、聴衆の心を引き付ける何かが必要だったはず。
 さりとて、官位と言うステータスを持ち、毘沙門天の申し子と称えられる男が、千手観音のご加護を享ける国一番の美女と結ばれるだけでは、庶民には非現実過ぎて物足りない。
 ならばその二人を考えうる最悪の状況にまで追い込んでみてはどうか?
 恵まれた生まれの男を落ちるところまで落とす。
 国を負われ毒で殺され、地獄からなんとか地上に戻されてもその姿は既に畜生にも劣る惨めなものであり・・・そんな話に耳を傾ける当時の人々の顔が目に浮かぶようだ。
 


「いやぁー、因果ってのは恐ろしいもんだねぇー。 なぁ太夫、続きはどうなってるんだい? 勿体つけずに聞かせてくれよ。」

 
  ならば語って聞かしょうか・・・


『上野原を、うっ立ちて、日にち積もりて、見てあれば、四百四十四日と申すには、熊野本宮湯の峯に、お入りある。 なにか合図の湯のことなれば、十七日、お入りあれば、両目が開き、二十七日、お入りあれば、耳が聞こえ、三十七日、お入りあれば、はやものをお申しあるが、以上、七十七日と申すには、六尺二分、豊かなる、もとの小栗殿とおなりある・・・』
(東洋文庫・説教節/平凡社より抜粋)

 
  次なるは、摩訶不思議なる再生の物語。


地獄の底より這い出でて、漂泊の末に掴み取る未来を信じ・・・
漲る力の源は、眩しいほどの命の煌き。

あの時、舞台に立っていたのは、紛れもなく小栗だった。
語り継がれた年月と人々の思いが、大きな力となって溢れ出す。


時を越え甦りし伝説の頂点に輝く人を
私は決して忘れない・・・











タイピングしながらも恥ずかしくてしょーがねぇーよぉー!
オイラ基本はシャイなんだよぉー、本当は
 



[ 2009/06/06 22:13 ] 観劇記録 |








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