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アンドレと言う名のカルマ 

 
 
 
    久しく忘れかけていた人と偶然に出会う。

    甘く、切なく心に蘇る過ぎし日の想い




 こんな書き出しになってしまうのは、先日放送になった番組のせいで・・・。
 一部の皆様のご推察のとおり、2006年雪組・全国公演 ベルサイユのばら の千秋楽を拝見したからなのであります。
 2006年の大劇場公演は愛しの朝海さんがオスカルで、アンドレは役替り。
 それぞれに男らしく、優しく、深い愛を注ぐアンドレ達が、オスカルを一層輝かせる。
 そして、今回の放送は同年全国ツアー。
 水夏希さんのオスカルに対しますのは壮さんアンドレ。
 
     こりゃまた、どうするべ?
 
 ベルばらは古典中の古典とも言うべき宝塚のドル箱演目。
 CATSやオペラ座の怪人みたいなものです。
 ハッキリ申しますれば、少々食傷気味。
 台詞だって・・・ちょっと笑っちゃう部分もあったりして・・・。
 なので、観たいような観たくないような複雑な気持ちのまま、録画を再生させたのです。
 
     しかし、どんな時でも心をときめかせる事が出来るのが愛。
 
 プッと吹き出して笑っちゃいそうな台詞であっても、彼女の口から流れ出せば、それはたちどころに甘美なる調べとなる。
 ( 具体的にどの台詞だかは言えない・・・だいたい想像はつくと思いますけれども ) 
 両の目にハートマークを浮かべながら、ジッと見入ってしまうのです。
 我ながら単純だ、単純すぎる!

 アンドレとは、どこまでも女性が思い描く理想の男でなければならない。
 どれ程の障害があろうとも、ただ一人の女を愛し通さねばならないのよ!
 そこには一切の迷いもない。
 オスカルが自らの手の届かないところに行ってしまうなら、その命を奪ってでも愛を貫こうととする・・・そんな ストーカーのような 一途な愛。
 
 それは文字通り 「 光と影 」 のように、常にオスカルとともにあるもの。
 あまりに身近すぎて、オスカルは気づかない。

 


 
 
 
 冷静に考えれば、子供の頃からずぅ~っと一人の女だけを愛し続けた男ってことは・・・《 自主規制中 》・・・で、そんなに余裕があるとは思えないのだが、そこは、ほれ、なんたって原作が少女マンガっスから、ねぇ。
 それじゃなくてもスミレ・コードってのがあったわね。
 そこでアンドレは、前述のように実に実に男前度の高い役柄となっているわけなのです。
 乙女心を忘れない女性達は思う。

    「 あんな風に愛されたらオスカルは幸せよねぇ~ 」

 そう、きっと幸せだ。
 歴代のアンドレ達は深く広い心でオスカルを包み込む。
 自己を制し影として生きる。
 カッコイイよ、本当に。
 
    でも、それが本当のアンドレなのだろうか?
 
 アンドレは死を目前にして、人生の最高の喜びを得る。
 オスカルをその腕に抱き、互いの温もりに愛を確かめ合う。
 
    「 見果てぬ夢 」
 
 アンドレの夢は如何なるものであったのか?
 愛する人の幸せを祈り、命に代えても守り抜くと誓い、刃や銃口の前に身を投げ出す事も厭わない・・・それは無償の愛。
 与える事だけで満たされていた心が、一度愛する女を手にした瞬間から、全く違った物へと変貌を遂げる。
 それを成就と見なすのか?
 愛と名付けられた煉獄へと囚われ、身動きできない事すらも幸せと呼べるのか?
 夢であれば良かった、決して手に入らない孤高の花であれば良かったのに、愛を確かめ合ってしまった後からは、その唯一無二の宝玉を手放したくないと思ってしまうものだ。

 しかし、劇中のアンドレはそんな俗っぽい感情からは隔絶された、あくまでも理想系の男として描かれている。
 


 ・・・と、私は思っていました、ええ、思っていましたともさ!
 
 しかしだ、我愛しの壮一帆さん演じるアンドレは、少しばっかり違っちゃ~いませんかつぅ~のよ!
 
 外見は素晴らしい。
 いや、素晴らしすぎて平民とは言い難いノーブルな雰囲気が漂い過ぎているかも・・・だけど、素敵だ。
 だいたいにおいてベルばら自体が、前時代的な様式美を追及する作品だと思っているので、台詞回しの大仰さも致し方ない。
 ならば何に拘るかと問われれば、壮さんアンドレの必死さが他の方のアンドレとは全く違って感じられるのです。

 余裕なんてちっとも無い。
 ただ必死で愛するオスカルを守りたい。

 その姿はまるで、空振りでも力の限りバットを振り回すバッターの様だった。
 その日は3打席ノーヒット。
 しかし最終打席。
 9回裏2アウト・バッター壮アンドレは2ストライクまで追い込まれながらも、最後の最後に起死回生の逆転ホームランを外野スタンドに叩き込むが如く、オスカルをゲットしてしまうのです。
 
 彼にとってみればそれは、棚ボタなんてもんじゃない!
 【 やったぜベイベェ~!】 的に木にも登っちまうほどの幸運。
 
 愛しても良いと言われたって、一体全体どうすりゃ良いんだ?
 
 壮さんの戸惑いにも似た表情が、そう物語っているようだった。
 至極当然だ、一人の女を思い続けていたら手練手管を駆使するなんて器用な真似は出来やしない。
 伸ばした指がオスカルの肩に、髪に触れるたびに、心の中に吹き荒れる熱い想いが加速していく。
 
 そうだよね、アンドレはきっとそんな風にオスカルに触れていたはずだよね。
 スマートに、格好良く、オスカルをリードする事なんて出来るわけがない。
 それが壮さんのアンドレだった。
 オスカルとの一時の愛の為に、全てを投げ出し業火に身を焼く事さえも厭わない。
 
 
    壮アンドレの姿に業(karman)を見る

 
 その身に、その言葉に、そしてその想いに・・・遣る瀬無いほどに悲しい男の性(さが)を感じる。
 洗練された包容力で包み込むのではなく、必死でオスカルを愛そうとするただの男。

 それこそがアンドレだ。
 
 画一化される必要など全くない。
 熱い想いだけで生きるアンドレが居たって良いではないか!
 
 ・・・と、声高に叫びつつ、私は今日も愛に生きるのだった・・・
 


 

 
[ 2008/06/10 00:02 ] 限りない愛を語れ |








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